2015年12月1日火曜日

部活動

ちょっと思いついたのでメモしておこうと思う。

 学校には部活動があって、その活動費なんかは生徒会で予算を割り振ったりするわけだが、自治体(県・市町村単位)で部活動をやっても面白いんじゃないかな。
 企業にも部活動はあるが、今の時代、広告費として予算も取りにくいだろうから青年部やら婦人部ってのも事実上消えて何の活動もしていないんじゃない?。だったら自治体で部活動という形で部の申請を受けて予算を振り、自由に参加してもらうとか。

 何が言いたいのかというと、自治体が婚活を支援するよりも、そういった部活という単位の中で人との付き合いが増えれば、自然と人間同士のコミュニティーが出来上がるし、その中で生産的な部活動が生まれれば、新しい産業もできるという考え。で、趣味が近い人間が集まるのだから、自然とそれが婚活に繋がるって寸法。

 非生産的で、上級生からコキ使われる下級生の図みたいなものは排除してもいいし、流れ的にそれが必要であれば、そういった部活でもいい。人が人に何かを教えるという行為そのものも生きがいに繋がるし、今まで何も出来なかった人も、部活動を通じてモノを覚え、面倒な手順を経なくても技術を手に入れることができる。
 互いに何かを補完できる仕組みとしての、自治体による部活動みたいなものがあれば、年齢なんて関係なく、人のつながりは増える。中には普段、パっとしない人でも、実は凄い趣味の持ち主だったりするかもしれない。上司が評価を落としても、部活動ではその人の能力が活かされるのであれば、これほど人材を上手く利用できるものはない。


 フルタイムでは活動できないが、僅かな時間でフルタイム以上の成果を出せる人も居るかもしれない。なにも一日中、机にしがみついていることが仕事ではないとすれば、もっと個人が自由に生きれると思う。

 それに部活動であれば、同じ組織にずーっと居る必要も無いし、退部して他の部活に行っても良い。市町村の部活で成果が上がれば、県の同系統の部活と併合しても良いわけだ。そうなれば、また使える資金も増えるし、ネットワークだって人材だって集まる。

 誰か実現してくれないかな。 もちろん、掛け持ちOKで。縛り禁止の自由参加ってことも大事だ。だって、平日の真っ昼間から山の中でBBQしながら温泉入ってビールを飲むってのも楽しいだろう?。曜日に縛られるってことも無くなるし、ある意味で毎日が日曜日であり出勤日でもある。楽しいと色々と捗るしね。

2015年11月19日木曜日

握力測定? いやいや・・・つま先立ち競争の方が良くない?

 握力が長生きと関係あるみたいな話だが、握力が強い人は、そもそも体を鍛えているから健康なのであって、長生きと直結させるには早計。生命保険会社が握力測定をするような時代に成ったのですね・・・

 そもそも体を鍛えているから握力があるかと言えば、私のように手芸で握力が維持されているということも言えます。何せ、肥後守のシースの材料であるカバンテープはバックの持ち手部分であり、針を通す時に必要な力は半端ない。 針が通らず針の頭が手に突き刺さるというハプニングは日常茶飯事。 ラジオペンジまで導入して強引に縫うという力技まで使っています。針をペンチで掴んで縫うんですよ?

 ちなみに長生きと言っても握力が強いと痴呆症になりにくく、結果として長生きとかいう根拠らしい。 でも、私はちょっと違うと思う。手先が器用なことで脳の活動も活発になるので痴呆にもなりにくく、握力もそこそこ平均以上に強くなる。握力が強いということは何かに捕まる力が強く、結果として何かに掴まれることで転倒を回避することも可能になり、大きな怪我を負い難くなり、生存性も上がるということかも。

 また、私の母親にあることを勧めて見た結果、分かったことがある。 それはつま先立ち。最初は出来なかったが、意識してやるようになって初めてできたという。本人はできると思っていたのだが、出来ないと知ったのが、つま先立ちできなかったからというくらい。いやいや、つま先立ちできるかやってみないと分からないというのはどれだけ自分の体がいまどうなっているのか関心が無いってことですよね?

 つまりこういうことなんですよ。

「歳を取ると転倒しやすくなり、結果として怪我により寝たきりになって、そして痴呆にかかり、寿命が短くなる」

 これは私が剣道をやめてから今でも習慣として続いている事なのだが、踵を着けないで歩く剣道歩き。これは足音も気配も消せる歩き方なのだ。これはつま先だけでバランスをとって歩くのだから、バランス感覚が非常に鍛えられる。つまり転倒しにくくなる。というより、ここ10年以上、転んでいない。それほど転ぶということが稀な体験になってしまったのだ。


 転んで怪我をする人は、自分の体はもっと動ける筈だったが、実際は思うほど動かなくなっていたから転ぶのであって、1メートルほどの高さから飛び降りて踵の骨を骨折する人は、自分の体重が1メートルの高さから飛び降りた時の踵に掛かる重量が自分の体重より少し多いくらいと勘違いしている人。まさか数百キロに及ぶだろうとは思ってもみないから踵を骨折するのです。地面が衝撃を吸収してくれる筈がないということを理解していない方が問題ですけどね。生命の危機敵レベルの馬鹿です。

 そこで着地の先生の登場です。猫は嫌いだが、猫の動作が怪我をしないための動作だと気づいて猫を見ている人はどのくらい居るのでしょうね。せいぜい半分くらい?もっと少ないかな?。猫の着地の動作を思い出してみてください。そして、猫の骨格も。私の体重くらいでしたら、2メートル程度であれば体重+加速度の合計を足と脚全体に分散して怪我をせずに飛び降りることが出来ます。

 私は自分の体のおおよその限界というものを知っています。 その結果、私のこの身長・体重・体格に見合わない体のコントロールができるということです。 そのためには、時々、自分の限界を試してみるのも面白いですよ?

 大抵の場合は「こんな筈では・・・」と思い知り、そして「このままではイカーーーーーーーーーン!」と奮起するのです。

 思っている自分の体の限界>実際の身体能力の限界 この差が大きいほど死傷する確率が上がります。

2015年11月11日水曜日

急な動作で怪我をしやすいのなら、急な動作に体を慣れさせる。

0を静止状態。1は運動量が小さく、限界を10と仮定する。
0から1や2、或いは5くらいまでいきなり動いても怪我はしない。歳を取ればその上限もどんどん低くなる訳だが、0から8くらいまでの動作に慣れておくと、ちょっとやそっとじゃ怪我なんて起こらない。肉離れや腱の断裂とかね。
筋肉や骨格。腱がそれに対応するから、それが通常となる。でも、0から5くらいの急な動作ですら普段からしていない人は、ほんのちょっとした動作でも怪我をする。

0は立っている状態。1は歩行で掛かる足への荷重。3が階段を降りる。胸のあたりの高さから飛び降りる行為を7と仮定する。
歩くときは踵から着地し、足の裏を通ってつま先に荷重を移動し、足が離れ、もう片方の足の踵から着地し・・・の繰り返し。つま先が離れる際に親指で自分を前へ蹴り出す。これで足とアキレス腱と脹脛の腱と筋が柔軟かつ強く鍛えられる。
階段を降りるときは速く左右の足を交互に滑らすように下り、高い位置から飛び降りるときは、つま先から着地しながら荷重を吸収しつつ脚を曲げながら脚全体で荷重を支えながら落下による荷重を受け止める。
足先から太腿まで上手くコントロールして足の局所に掛かる負担を動作で和らげる。これで踵を骨折するような馬鹿な怪我は起こらない。

世の中のどれほどの人が準備運動というものをしているのだろうと考えることがある。
ラジオ体操然り。ストレッチなどがそうだ。これも普段から真面目に全力で行なってると、身体能力が高くなる。
何倍ものオーバーリアクションで体操するほど、関節の可動域が広がり、勢いをつけて動作することで急激な動作による怪我を起こしにくくする。ストレッチで軽く痛いと感じる範囲まで筋を伸ばし、作業中に腱を痛める確率を下げる。

つまり、加齢によって体が動かなくなるのは単なる怠慢で、何もしない人と、全力でやってる人とでは街中を歩いている人の歩行速度や歩き方を見れば一目瞭然。高齢者でもスタスタと歩ける人も居れば、ウンコ漏らして尻の間から漏れないように歩いているような歩き方の人も居る。
腰くらいの高さから飛び降りるときに、踵で全体重を受け止めて踵を骨折するのは馬鹿じゃないかと。猫が高いところから飛び降りる時の動作を見ていれば「ほほう!なるほど!」と思う人と、「猫かわいい!」としか見ていない人の違い。

大した事がない動作をオーバーリアクションでやってみる。かなりの運動になると同時に加齢によって動きが鈍ることを防ぎ、ちょっとした負荷でも怪我をしない。何とも理想的。

2015年6月13日土曜日

何かを残すということ

 生物としては自分の遺伝子を残すことが最重要である。でも、それはもう望み薄である。

 ネットには散々、オラの痕跡が作品として残っている。

 他に残せるものといえば何かあるだろうかと考えたが、仕組みや形状。作り方などがあると気づいた。

 これは、「こう作るのが定番」と言われるものを残す方法があるではないか。
 既に、ループアンテナの自作に関しては、「こうやって作る」という定番を残した。
 生素材のフキノトウを使ったバッケ味噌も、オラの調理方法が根付いた。

 いま、様々なタイプの肥後守シースを開発中。簡易版から頑丈なものまで。非常に安価なものから安価なものまで。
 目的は、使えるということ。これがベストであるということ。誰でも簡単に材料が入手できること。誰でも真似できること。

 いま、頒布ルートの開拓中。手持ちの材料も豊富にあるし、既に200本近く手縫いしているから、経験値は高い。丁寧に作ろうと思えば丁寧にも作れる。今は作り方の研究が第一。作った試作品たちは、それを必要としてくれる人がいる場所へ送り出せばいい。商売として成り立たない作品は全て試作品。
 試作品たちは自分の知らない人の手に渡り、評価を得る。その評価の一部はネットに拡散され、それはそういうものだとどんどん拡散されるのだ。いつしか、それはそういうものとなり、皆が真似て同じようなものを作り出す。それぞれの工夫が盛り込まれて。

 これもある意味で、オラの作品を源流とする残せるもの。オラは只管、皆の目に入り、不特定多数の手に渡るようそれを拡散し続ければいいのだ。まだまだやりたいことはあるし、別のジャンルに手を出したいと思っている。
 見て使って不便を探して不便を解消する。考えるのも好き。それを自分で作り出すことも好き。他の人がこういうのができないか。こういうものを作れないかと言えば、大した時間を要せず、材料と道具さえあれば大抵のことは解決できる。

 小さい頃から研究や実践。モノづくりを繰り返してきた。だからこういうことは造作も無い。 考える過程が楽しいうちは続けられる。自分は同じことをずーっと続けることができない。でも、インターバルを設ければ、その間に思いついた庵を咥えて再開できる。肥後守を手に入れて2年。研ぎもマスターした。シースも実用レベルのものを量産できる経験値を手に入れた。ループアンテナも次の案を蓄積中。調味料も既に案ができている。

 インターバルは必要だ。次のものを生み出すために離れる。離れた期間が長いほど、続けられる。続けられれば改良も進む。実に面白い。そしてそれを残せるのは有意義だ。

2015年3月21日土曜日

カウンセリングは同じ立場になった人間が最適

同じ経験をしなければ、いま、その状態に悩んでいる人の気持ちに立てない。
自殺を考えたほど追い詰められた経験の無い者にカウンセリングはできるのだろうか。
そこから立ち直り、何が切っ掛けで立ち直れたのか。どういう考え方を持てばそうなれるのか。
今も悩んでいる人には何が必要なのか。勉強で学んだ経験よりも、実体験のほうが遥かに救いの声になるだろう。

私は特定の宗教に興味は無い。ただ、そこに在るであろう存在については感じ取れるし、在ると信じられる状況も経験している。ただ、それは自分の内にあるもので、存在しないかもしれない。
しかしながら、この世には説明のつかない物事を体験したり、感じたりすることはある。科学的にも、論理的にも実証は困難だったとしてもだ。

だから、精神的に参っている人には絶対に宗教を勧める気にはなれない。
過去に宗教にのめり込んでる人に勧誘を勧められ、丁度そのときに私自身が鬱病だったからだ。
その人の話を聞けば聞くほど「ああ、これは洗脳されているな・・・」と思った。
大体にしてそれを証明する手段が無いことを解り切っているのに、他人を納得させられる説明ができない。
人から言われたから? 自分でそれを在ると信じた理由は? そして、今、何故、それを他人に勧める? 利用されてるんだよ? 子連れで勧誘すれば同情で話を聞いてくれるから? そしてオラはこう言った。

「あなた、子供が可愛そうだと思ったことは無いのか?」 と。他人を宗教に巻き込む時間があったら、構ってもらえず、ぐずってる子供の相手をしたらどうだ?。

私が宗教を否定する理由は、他人に構って自分や自分の子供との大切な時間を無駄に他人に対して使っていること。
慈善は素晴らしいし、それは人間だけが持っている考え方ではない。だから、そういう考え方をするのは生物としては在り得る事なので、その行為自体は否定しない。でも、いまするべきことを見失っているのでは、それは不幸である。

一種の救いとしての宗教は在りだと思う。それしか手段が無い人にとっては、それが生きる理由になるのだから。
でも、人を救うという手段はそれだけではない。生きるという行為の意味を教えてくれるのは人間だけではない。
すぐ身近に居るではないか。私たちの周りに。一生懸命生きて、一生懸命学んで、一生懸命に子孫を残している存在が。

人間だって動物だ。だから、人間として壊れてしまったら、人間ではなく身近に居る存在に目をやるといい。
人間が教えてくれなかったことを、その存在は一生懸命に見せてくれる。そして気づくのだ。
ああ、生きるってこういうことなんだと。そして、とても速い速度で大人になるその存在は、我々が無為に過ごしている僅かな時間で我々よりも成長し、そして老いて死んでいく。

そしてその者たちに教えられる。ついこの間まで産毛が生えてた連中にだ。
生まれ、大人になり、あっというまに老いて死んでいくその様を。私が生きる意味を教えられたのはスズメとカラスである。
彼らは常に隣人であり、生きる意味を教えてくれる。そして危険回避の考え方や、周りへ目を向ける方法を。
直接的な会話は無い。殆ど心で通じている。思ったほど彼らとのコミュニケーションは簡単だった。そして気付く。彼らがこんなにも人間っぽい考え方をするのだと。

なんだ。こんなにも周りにカウンセラーが居るんじゃないか。私は彼らに助けられた。だから彼らを助ける義務がある。

通訳が必要なら買って出よう。私は人間であると同時に動物だという認識がある。それに彼らが私を普通の人間だとは思っていないからだ。多分、それを感じ取っているから彼らは私に話しかけてくる。それが普通になったとき、自然とそういうオーラを出すようになったのだと思う。

動物が私に関心を持ち、私が気配で会話できるように、私はごく普通にそういう気配を感じ取ったり、相手に伝えることが出来る。人間も元々持っていた感覚なのだから、中にはそういう気配に気付く人も居る。それが街中で周りに人がわんさか居るのにわざわざ私に道を尋ねてくるのがそれだ。ここ1週間のうちに3度も道を尋ねられた。

話しかけやすそう。頼ってもよさそう。この人なら何とかしてくれる。そんな気配を出しまくっているのかも知れない。
動物が普通に気付くレベルの気配なのだから、人間の中でも勘の良い人は気づくのだろう。直接的な会話が無理な外人相手でもオラはOK。会話は必要ない。単語とジェスチャーだけで何とかなる。

スズメやカラス。カモなんかとも話が出来るのだから、同じ人間なら外人だろうが関係ない。
多分だけど、相手に知性があれば妖怪だろうが、悪魔だろうが、 異星人だろうが関係ないと思う。
私自身の精神は一度壊れている。今もまだ壊れているのかもしれない。でも、それはそのままで構わない。
それ以上に凄いものを手に入れたのだから。
人間であり、動物であり、自然の中のひとつであり、この星の一部であり、この宇宙全体の中で塵ひとつの存在。
受け入れ、受け入れられ、関わり、関わられ、受け止め、発信し、考え、考えさせられ、考えさせる。

今は生きて、そしてそのうち死んで消える。でも、今は生きていて、今は存在し、今は存在意義があり、今はこうして考えることが出来る。思考が停止してしまったのなら、思考が働くように周りを見ることだ。
死後の世界はわからない。在るのか無いのか解らない。それは死んでから考えれば良い。でも、今は周りが見えている。周りを見て観測できる。そして周りから観測されている。いま、そこに在る。いま、ここに居ることを観測されている。
周りの人間から固有名詞で存在を認識されている。周りの動物から変な人間だと観察され、そして関わろうとしてくれる。

そう、いま、ここに自分は存在している。だから存在していることを認識している。あとは自分という存在が周りにどう認識されているかというよりも、自分という存在がここに在るのだと強く自分自身が認識すれば生きていける。

自分の今の状態を悲観することは無い。自分は動物だと考えれば、最悪、人類が絶滅しかねない状態に陥っても自分が生き残れれば動物のように生きれば良い。自分を終わらせるよりも、開き直って「どーにかなるさっ!」って思えばいい。
壊れてから立ち直るのも、壊れる前に気付いてブレーキ掛けるのも、壊れそうになって開き直るのも自由だ。

ただこれだけは言える。病院に行って医者に話したり身近な人に話すのが怖いなら、誰か知らない暇そうな人に話してみるといい。自分という人間を知らない人に話を聞いてもらい、そして客観的でも主観的でも何か意見を求めてみる。
意外な結果を得られるかもしれない。

もしも貴方が子供で、自分の親や学校の先生に話せないのなら、周りに居る大人に聞いてみるといい。
最近は誘拐などもあるから、そのときは人目の多い場所で、ベンチに座りながらでもね。
簡単に死を選ぶのは早計だ。この世にはあなたの知らない選択肢が溢れている。
それを教えてくれるのは人間であることが多いのかもしれない。でも私は生きる意味を動物に教えて貰った。
ちょっと変わっているだろうけど、話し相手はいつも人間とは限らない。

そう、周りには相談相手が沢山居る。そこに気付けば道は開ける。

2015年3月20日金曜日

Pocket Wi-Fi でネットするなら未明から早朝

帰宅してから家でネットするよりも未明から早朝の方が周りでネットしていないだけ回線が速くて快適。
仕事をする時間には脳は活性化する。

22時には寝るようにすれば、4時か5時には起きられる。体内時計的にも寝ている時間帯に寝ているのだから心身ともにすっきり。良いこと尽くめではないか。

ネットは朝活が良いのかもしれない。

未来の自動衝突軽減装置はレーダーか、IR(赤外線)か。

 赤外線で位置関係を互いに通信で把握するIR玩具、これって、全車両に搭載すればひとつの対象だけではなく、複数の対象との位置関係を把握して、衝突を避けてくれるんじゃないかな。特に夜間に道路を横断する歩行者や無灯火の自転車なんかも、赤外線通信ではなく信号ではない赤外線として捕らえれれば発見も容易。

 赤外線で信号以外の赤外線を発する物体を距離で認識するには2つの受信機で距離を測る必要がある。だから赤外線の発信機と受信機は2基必要。ただ、赤外線には弱点がある。周りに熱源が多いと使えない。特に夏。赤外線による衝突軽減装置は夜限定には有効かもしれない。

 そうなると、やはりレーダーとの併用か。

 でも、発信受信を1本の送受信機で行なう方法がある。それはGPS。もっと高精度なGPSで位置情報を測り、自車の詳細な位置情報を車が発信。電柱などに取り付けた受信機と管制システムが周りの車の位置情報も含めて再発信し、それを自車が受信。車が自車と他車の位置関係から衝突事故を回避するようにする。

 これだと逆走車が路肩に車が自動で寄ってエンジン停止。全ての操作をロックし警察に通報。車同士の事故は回避できる。馬鹿は殺人未遂で逮捕。

2015年3月12日木曜日

何故、1日に数百アクセスある「生態」の方に書かないのか

「あおもりくまの生態」がメインブログで、雑記や愚痴など思うが侭に書くことを主眼に置いている。で、こちらのブログはあくまでも「総合研究所」つまり、雑記ではないから。

あまりアクセス数の無い方にわざわざ書く必要があるのか?と言えば、ある。こちらは可能な限り真面目。あちらはおちゃらけで馬鹿丸出しからシリアスまでごちゃ混ぜという感じに使い分けているから。こちらでは「私/自分」という一人称。あちらは「オラ」となっている。

そして最大の理由。「誰でも来れるブログ」ではなく、「検索して初めて気づくブログ」で良いということ。つまり、個人研究している人が何気なく検索して、「へぇ・・・こんなのあるんだ」という事で良いのです。

ネタはそれなりに有るけど、こちらに書くときは狙って書いているので、来訪者も狙ってここに辿り付いてくれればそれで良いと思ってります。

青唐辛子で調味料を作る

今の時期に青唐辛子など売られていないのだが、私は青唐辛子の旨みが好きなので大量に冷凍保存してある。
時々思いつきでスパイスとして使用するのだが、普通に成熟した赤い唐辛子を使うよりもクセがあって独特の風味に仕上がる。
チャーシューを作ったときも調味料を作るときに取り除いたへたの部分(上から1.5cmくらい切除)を使ったときも上手くできた。まあ、 焼いたシシトウが食べられない人にはあのピーマンのような風味が駄目なんでしょうけど、あの味が好きな人にとっては真に絶品の仕上がり。

で、今回はいつも作っている青唐辛子醤油(青南蛮醤油とも、青とん醤油とも言う)と、新作である青唐辛子塩麴(塩こうじのブームだから混ぜてみた(笑)) だ。

作り方は簡単。

まず、青唐辛子を用意する。え?無いですか。夏まで待ちましょう。え?売ってない?。栽培は簡単です。プランター菜園でどうですか?。水遣りは忘れないでね。

青唐辛子のヘタの部分を取り除く。後で薬味として使えるから寄せておく。
ミキサーに青唐辛子を入れて、焼酎でドロドロになるまで粉砕する。
それをボトルに入れる。ダイソーで買ったのは蓋がガバガバで使い物にならなかったので、セリア・シルク系で売ってる日本製のものを使用。これは事前に熱湯で消臭&殺菌しておくこと。
次に醤油を入れるか、塩麴を入れるかはお好みで。醤油の場合は口いっぱいまで。塩麴の場合は買ってきた塩麴が足りなければ焼酎を足す。焼酎はクセの無い米や麦を使用する。

お好みで味の素を加えてもよい。味の素はグルタミン酸ナトリウム。これも旨み成分。というか、旨み調味料だからね。旨みが増す。醤油も塩麴も植物性の旨み成分。青唐辛子も旨み成分。旨み成分であるアミノ酸の種類が複数交わると、更に旨みが増す。これは醤油、カツオ、シイタケ、昆布などの代表的なダシが混ざると旨みが増す効果があることで有名。

それで、青唐辛子。醤油または塩麴。グルタミン酸ナトリウム。焼酎が混ざることで、植物性の旨みが4種。肉や魚料理でこれを使うと、動物性の旨み成分と植物性の旨み成分が合わさって更に美味しく感じるという寸法だ。

私が今後作りたいもので実践していないものがある。それは青一味だ。青唐辛子をなんとか変色させずに乾燥させてミルで粉砕し、青い一味唐辛子を作りたいのだ。珍しいこともあり、地域の特産にでもすれば売れると思う。これは早い者勝ちで、利用方法も一緒にネットに公開して、更に購入者からも利用方法を募集すれば、販売者と顧客の相互にとって良い。

以前、キューピー(マヨネーズのあの会社ね)に、一味唐辛子マヨネーズ(一味マヨ)の販売を希望したのだが、却下された。でも、焼きイカに一味マヨをつけて食べると凄く美味しいし、一味マヨは色々と使えると思う。
まあ、自作も出来るから別に構わないが、企業は冒険を嫌うからね。売れると思うんだけどね。
で、青唐辛子マヨっていうのも美味しいと思う。勿論、粉末状の青唐辛子は様々なレシピに使えるだろうし、辛いものと言えば赤や黄色が多く、青はワサビくらいのものなので、青唐辛子の一味でも七味でも作れば面白そうだと思う。

我が町の特産に! と言う方が居ればチャレンジしてはどうだろう?。

2015年2月26日木曜日

カラスの瞬膜

カラスには瞼がもう一枚ある。写真を撮ったときに白目になっている場合、それが瞬膜である。


2015年2月25日水曜日

ハシボソガラス(学名:Corvus corone)

個体識別:骨折ボソさん(♂) /提供 Creative Commons Ver.3.0 / 使用条件:「あおもりくま撮影」と表示すること

 現状で私への信頼度が非常に高い個体。夏場に右足を骨折したが今は少し曲がった状態ではあるが、骨はちゃんと癒着して完治している。ハシボソガラスの場合、足がポッキリと折れても2週間から20日程度でほぼ治り、1ヶ月もすれば完治するということを教えてくれた。

 骨折している間は何度も食糧援助していたので私への信頼度は非常に高い。だから半年くらい経っても顔を覚えてくれているので至近距離での撮影も快く許してくれる。
 夏に見たときはまだまだ若い個体特有の雰囲気があり、小柄で頼りない感じであったが、通りすがりの旅行者から見たら大きいそうだ。青森のハシボソガラスはやはり大き目なのだろうか?。

 今ではすっかり風格も出てきて、羽毛の色艶もご覧の通り非常に美しい。 賢くて強い奥さんとの連携も強く、比較的美味しい場所に縄張りを持っている。 ハシボソガラスは加齢によって風格が増す。 勿論、エサの質や量にも寄るが、これでもまだまだ若さが見て分かるレベル。

 あまりカラスとの付き合いが無い人から見たら、これは怖いと見えるのだろうか?。それともカッコイイと見えるのだろうか?。私としては強そうで美しい鳥に見える。 まあ、カラス好きということもあり、カラスに対する恐怖も無く、カラスが素のままで接しようとしてきているだけなので、私には普通に黒くて大きな鳥さんが好意を持って近寄ってきているようにしか思えない。
 顔を見ると少し怒っているようにも見えるが、単に彼は「何してるの?」という顔をしているだけであって、怒っている訳でも無い。一番付き合いの長い西ボスさんなら、カメラが何かは知らないけど「撮らせて?」と言えば動かずにじっとしてくれる。 

 被写体としてのカラスは面白い。単にその辺に居るカラスを望遠で撮るのは容易い。でも、相手が顔見知りであれば少し違った雰囲気の写真を撮らせてくれる。カラスは結構長生きなので、付き合いが長くなれば違ったポーズで撮らせてくれるだろう。


2015年2月10日火曜日

寒いの我慢ダイエット法

私は体重103kg/177cmで筋肉量は100%以上ある。
寒さには耐性があって、気温が6℃でも無風状態であれば30分は下着一丁でも平気なくらい。
寒さに耐性があるので、逆に暑さには体制が無いものの、自分で熱をどんどん生み出すので、寒い所に居るとどんどん脂肪を燃焼して熱に変換してしまう。

私が極端にデブらないのは、この脂肪を熱に変換する能力が高いから。というか、例の大震災以降、ストーブを使うのをやめたせいでもある。足さえ冷たくなければ下着に服を1枚羽織るだけで、熱源は150Wのパネルヒーターがあれば十分。
少し肌寒い感じの15度が、10度になり、先日からは7度もあれば特に問題は無い感じにまで耐寒性能が上がった。

月曜の朝から急に真冬日に戻ったのだが、私にとって事務所では適温。みんなは寒いと言うが、みんなが丁度良い温度では私は熱中症になってしまうくらい暑い。似たような体系の人は会社にも居るが、私の耐寒性は周りが言うには桁外れのようだ。

そこで思ったのだが、私が冬に体重が極端に増えないのは、寒さに強い=自分で熱を作り出している=脂肪燃焼ということではないだろうか。つまり、少しくらい寒くても筋肉を一定量持っていれば寒さに強くなり、脂肪もどんどん熱に変えるということだと思う。

いま、部屋の温度は8.1度。帰宅時には-6度しか無かった部屋だが、1時間半経った今でも少し寒いかな?という程度。
デブで寒がりはデブとして間違っているが、デブだけど実は脂肪の下は筋肉質ならただの脂肪の塊よりも大分マシなのではないか。そう思う真冬日であった。

人間は慣れる生き物。寒いからとすぐに暖房をガンガン炊くよりも、少しくらいならもう一枚何かを着ればいい。慣れれば寒いと言うよりも涼しいと感じる。サバイバル優先の私の性格からして、灯油代は浮くし、いざ、冬の山で遭難しても生き残れる確率が高くなる。しかも他に遭難者が居れば暖めてあげられる。(ただし美形に限る)

ちなみに若い頃も秋田と岩手の県境。山のPA。車中泊でエンジン切って車の内部が霜で白くなるくらいの気温を寝袋だけで寝てたけど一晩くらいは平気だった。 除雪の人に邪魔だから移動してと起こされたけど。
色々と変なのは認めるが、暖房に頼りすぎの人は肝心なときに体温調整できずに凍死してしまうのではないだろうか。

温暖化が進むと、急激に寒冷化が進み、氷河期が来ると某映画では言ってる。
私は氷河期を耐えられるか解らないが、少なくともシェルターに入れなかったとしても少ない暖房で生き残れるかも知れない。

2015年2月7日土曜日

卑怯者が刃物で他人を死傷せしめる理由

それは、「その人間の心が歪んでいて、肉体的にも脆弱だから」ということで片付く。
理由は簡単。肉体そのものが凶器足りえる場合は刃物は不要。
だから本人の戦闘力が低い場合は刃物で底上げしようと考えるのだろう。
まるで自分が強くなったかのように勘違いするのも、刃物を正しく理解していない証拠。
本質は何も強くなっていない。丸腰の相手や自分より弱い者に刃物を向けるのは、ただの下衆。
弱虫で動物としても不完全。ルール無用の卑怯者で畜生以下。

素手での戦闘は打撃・関節技・放り投げる・・ぶっ飛ばす・へし折る・押し潰すなどがあり、これは凶器が不要である。
自分のように剣道の有段者ともなると、棒を持って喧嘩をした時点で凶器と見なされるので、相手が刃物でも持っていない限り棒は使用不可である。
剣道をやめてからは自己流で素手での格闘を想定して間接の柔軟さや物理的なパワーと瞬発力。連打。攻撃の重さに特化させた。 これは保険であるからして、自分から使うことは無い。使うとすれば、相手が殺そうと襲ってくるときのみ。

普段の私は温厚で、動物からも無害認定されている。むしろ、彼らの方からのアプローチが多いほど人畜無害である。
人だろうが動物だろうが、その辺を歩いていると声を掛けられることも少なくない。他人に言わせればクマのプーさんみたいなものだそうだ。
スズメのような小さな動物からの信用を得てからは、彼らの襲撃に頬の筋肉は緩みまくりな訳で、吸血昆虫以外は虫も殺せないくらいなのだが、誰かが襲われていたり、自分に殺意を向けられたらどうなることやら・・・相手が。

2015年1月31日土曜日

地球上で最も身体能力が高い生き物は?

道具を使わずに、生物としてこの地球上で最も高い身体能力を持った生き物は何か。

人間はその頭脳によって道具を生み出し、人間単体が持っている能力を遥かに上回る性能を持った道具によって地球上では最強の生き物ではある。

でも、この地球上で最も凄いのはカモ類、カモメ属の2つだ。

水上に着水できる。潜水できる。水面から飛び立てる。陸地に降りれる。陸地から飛び立てる。空を自由に飛べる。
特にカモ類は長距離を飛ぶことができる。

空を自由に飛べるというだけでも凄いのに、陸海空の全てを制しているのは彼らだ。

2015年1月22日木曜日

寿司を食うなら最初に納豆軍艦か納豆巻きを食べよう

納豆には殺菌効果があり、食物繊維も豊富。整腸作用がある。

寿司は食べやすい大きさなのでついつい食べ過ぎてしまう。
食べすぎによるカロリー過多もさることながら、生の食材を多く食べることになるので食中毒にも注意が必要だ。

殺菌と食物繊維による栄養吸収の阻害効果を狙うには、それら生のネタの寿司を食べる前にまず、納豆。
これで胃の準備を整えておく。納豆でO-175を迎撃できるらしいので、寿司を食べる前にぜひとも先に食おう。
飲み物は濃い緑茶。お茶のカテキンにも殺菌効果があるし、「かっぱ寿司」のように粉茶だとお茶を丸ごと頂ける。
つまり、粉茶でも食物繊維を摂れる。更にガリだ。ガリには酢が使われているので、益々殺菌効果が高まる。

2015年1月1日木曜日

モヒート(のようなもの)の作り方

グレープフルーツ味のスポーツ飲料(粉末)

フリスクなどのタブレット(ハッカ味)
好みのリキュール(ウォッカやジンなど)

これで再現できました。

軽SUVやSUV風軽が持て囃される傾向にあるが、目的を見失わないように。

 「軽スーパーハイトワゴン」が次々SUV化! 三菱新型「デリカミニ」早くもヒット!? アウトドアなスライドドア軽がウケる訳 何というか、べた褒め記事ってメーカーから金を貰っているのか、それとも流行りに乗っかって検索やアクセス数を稼ごうとしているのか分からないけど、真意を見失うと誤...