2015年3月21日土曜日

カウンセリングは同じ立場になった人間が最適

同じ経験をしなければ、いま、その状態に悩んでいる人の気持ちに立てない。
自殺を考えたほど追い詰められた経験の無い者にカウンセリングはできるのだろうか。
そこから立ち直り、何が切っ掛けで立ち直れたのか。どういう考え方を持てばそうなれるのか。
今も悩んでいる人には何が必要なのか。勉強で学んだ経験よりも、実体験のほうが遥かに救いの声になるだろう。

私は特定の宗教に興味は無い。ただ、そこに在るであろう存在については感じ取れるし、在ると信じられる状況も経験している。ただ、それは自分の内にあるもので、存在しないかもしれない。
しかしながら、この世には説明のつかない物事を体験したり、感じたりすることはある。科学的にも、論理的にも実証は困難だったとしてもだ。

だから、精神的に参っている人には絶対に宗教を勧める気にはなれない。
過去に宗教にのめり込んでる人に勧誘を勧められ、丁度そのときに私自身が鬱病だったからだ。
その人の話を聞けば聞くほど「ああ、これは洗脳されているな・・・」と思った。
大体にしてそれを証明する手段が無いことを解り切っているのに、他人を納得させられる説明ができない。
人から言われたから? 自分でそれを在ると信じた理由は? そして、今、何故、それを他人に勧める? 利用されてるんだよ? 子連れで勧誘すれば同情で話を聞いてくれるから? そしてオラはこう言った。

「あなた、子供が可愛そうだと思ったことは無いのか?」 と。他人を宗教に巻き込む時間があったら、構ってもらえず、ぐずってる子供の相手をしたらどうだ?。

私が宗教を否定する理由は、他人に構って自分や自分の子供との大切な時間を無駄に他人に対して使っていること。
慈善は素晴らしいし、それは人間だけが持っている考え方ではない。だから、そういう考え方をするのは生物としては在り得る事なので、その行為自体は否定しない。でも、いまするべきことを見失っているのでは、それは不幸である。

一種の救いとしての宗教は在りだと思う。それしか手段が無い人にとっては、それが生きる理由になるのだから。
でも、人を救うという手段はそれだけではない。生きるという行為の意味を教えてくれるのは人間だけではない。
すぐ身近に居るではないか。私たちの周りに。一生懸命生きて、一生懸命学んで、一生懸命に子孫を残している存在が。

人間だって動物だ。だから、人間として壊れてしまったら、人間ではなく身近に居る存在に目をやるといい。
人間が教えてくれなかったことを、その存在は一生懸命に見せてくれる。そして気づくのだ。
ああ、生きるってこういうことなんだと。そして、とても速い速度で大人になるその存在は、我々が無為に過ごしている僅かな時間で我々よりも成長し、そして老いて死んでいく。

そしてその者たちに教えられる。ついこの間まで産毛が生えてた連中にだ。
生まれ、大人になり、あっというまに老いて死んでいくその様を。私が生きる意味を教えられたのはスズメとカラスである。
彼らは常に隣人であり、生きる意味を教えてくれる。そして危険回避の考え方や、周りへ目を向ける方法を。
直接的な会話は無い。殆ど心で通じている。思ったほど彼らとのコミュニケーションは簡単だった。そして気付く。彼らがこんなにも人間っぽい考え方をするのだと。

なんだ。こんなにも周りにカウンセラーが居るんじゃないか。私は彼らに助けられた。だから彼らを助ける義務がある。

通訳が必要なら買って出よう。私は人間であると同時に動物だという認識がある。それに彼らが私を普通の人間だとは思っていないからだ。多分、それを感じ取っているから彼らは私に話しかけてくる。それが普通になったとき、自然とそういうオーラを出すようになったのだと思う。

動物が私に関心を持ち、私が気配で会話できるように、私はごく普通にそういう気配を感じ取ったり、相手に伝えることが出来る。人間も元々持っていた感覚なのだから、中にはそういう気配に気付く人も居る。それが街中で周りに人がわんさか居るのにわざわざ私に道を尋ねてくるのがそれだ。ここ1週間のうちに3度も道を尋ねられた。

話しかけやすそう。頼ってもよさそう。この人なら何とかしてくれる。そんな気配を出しまくっているのかも知れない。
動物が普通に気付くレベルの気配なのだから、人間の中でも勘の良い人は気づくのだろう。直接的な会話が無理な外人相手でもオラはOK。会話は必要ない。単語とジェスチャーだけで何とかなる。

スズメやカラス。カモなんかとも話が出来るのだから、同じ人間なら外人だろうが関係ない。
多分だけど、相手に知性があれば妖怪だろうが、悪魔だろうが、 異星人だろうが関係ないと思う。
私自身の精神は一度壊れている。今もまだ壊れているのかもしれない。でも、それはそのままで構わない。
それ以上に凄いものを手に入れたのだから。
人間であり、動物であり、自然の中のひとつであり、この星の一部であり、この宇宙全体の中で塵ひとつの存在。
受け入れ、受け入れられ、関わり、関わられ、受け止め、発信し、考え、考えさせられ、考えさせる。

今は生きて、そしてそのうち死んで消える。でも、今は生きていて、今は存在し、今は存在意義があり、今はこうして考えることが出来る。思考が停止してしまったのなら、思考が働くように周りを見ることだ。
死後の世界はわからない。在るのか無いのか解らない。それは死んでから考えれば良い。でも、今は周りが見えている。周りを見て観測できる。そして周りから観測されている。いま、そこに在る。いま、ここに居ることを観測されている。
周りの人間から固有名詞で存在を認識されている。周りの動物から変な人間だと観察され、そして関わろうとしてくれる。

そう、いま、ここに自分は存在している。だから存在していることを認識している。あとは自分という存在が周りにどう認識されているかというよりも、自分という存在がここに在るのだと強く自分自身が認識すれば生きていける。

自分の今の状態を悲観することは無い。自分は動物だと考えれば、最悪、人類が絶滅しかねない状態に陥っても自分が生き残れれば動物のように生きれば良い。自分を終わらせるよりも、開き直って「どーにかなるさっ!」って思えばいい。
壊れてから立ち直るのも、壊れる前に気付いてブレーキ掛けるのも、壊れそうになって開き直るのも自由だ。

ただこれだけは言える。病院に行って医者に話したり身近な人に話すのが怖いなら、誰か知らない暇そうな人に話してみるといい。自分という人間を知らない人に話を聞いてもらい、そして客観的でも主観的でも何か意見を求めてみる。
意外な結果を得られるかもしれない。

もしも貴方が子供で、自分の親や学校の先生に話せないのなら、周りに居る大人に聞いてみるといい。
最近は誘拐などもあるから、そのときは人目の多い場所で、ベンチに座りながらでもね。
簡単に死を選ぶのは早計だ。この世にはあなたの知らない選択肢が溢れている。
それを教えてくれるのは人間であることが多いのかもしれない。でも私は生きる意味を動物に教えて貰った。
ちょっと変わっているだろうけど、話し相手はいつも人間とは限らない。

そう、周りには相談相手が沢山居る。そこに気付けば道は開ける。

2015年3月20日金曜日

Pocket Wi-Fi でネットするなら未明から早朝

帰宅してから家でネットするよりも未明から早朝の方が周りでネットしていないだけ回線が速くて快適。
仕事をする時間には脳は活性化する。

22時には寝るようにすれば、4時か5時には起きられる。体内時計的にも寝ている時間帯に寝ているのだから心身ともにすっきり。良いこと尽くめではないか。

ネットは朝活が良いのかもしれない。

未来の自動衝突軽減装置はレーダーか、IR(赤外線)か。

 赤外線で位置関係を互いに通信で把握するIR玩具、これって、全車両に搭載すればひとつの対象だけではなく、複数の対象との位置関係を把握して、衝突を避けてくれるんじゃないかな。特に夜間に道路を横断する歩行者や無灯火の自転車なんかも、赤外線通信ではなく信号ではない赤外線として捕らえれれば発見も容易。

 赤外線で信号以外の赤外線を発する物体を距離で認識するには2つの受信機で距離を測る必要がある。だから赤外線の発信機と受信機は2基必要。ただ、赤外線には弱点がある。周りに熱源が多いと使えない。特に夏。赤外線による衝突軽減装置は夜限定には有効かもしれない。

 そうなると、やはりレーダーとの併用か。

 でも、発信受信を1本の送受信機で行なう方法がある。それはGPS。もっと高精度なGPSで位置情報を測り、自車の詳細な位置情報を車が発信。電柱などに取り付けた受信機と管制システムが周りの車の位置情報も含めて再発信し、それを自車が受信。車が自車と他車の位置関係から衝突事故を回避するようにする。

 これだと逆走車が路肩に車が自動で寄ってエンジン停止。全ての操作をロックし警察に通報。車同士の事故は回避できる。馬鹿は殺人未遂で逮捕。

2015年3月12日木曜日

何故、1日に数百アクセスある「生態」の方に書かないのか

「あおもりくまの生態」がメインブログで、雑記や愚痴など思うが侭に書くことを主眼に置いている。で、こちらのブログはあくまでも「総合研究所」つまり、雑記ではないから。

あまりアクセス数の無い方にわざわざ書く必要があるのか?と言えば、ある。こちらは可能な限り真面目。あちらはおちゃらけで馬鹿丸出しからシリアスまでごちゃ混ぜという感じに使い分けているから。こちらでは「私/自分」という一人称。あちらは「オラ」となっている。

そして最大の理由。「誰でも来れるブログ」ではなく、「検索して初めて気づくブログ」で良いということ。つまり、個人研究している人が何気なく検索して、「へぇ・・・こんなのあるんだ」という事で良いのです。

ネタはそれなりに有るけど、こちらに書くときは狙って書いているので、来訪者も狙ってここに辿り付いてくれればそれで良いと思ってります。

青唐辛子で調味料を作る

今の時期に青唐辛子など売られていないのだが、私は青唐辛子の旨みが好きなので大量に冷凍保存してある。
時々思いつきでスパイスとして使用するのだが、普通に成熟した赤い唐辛子を使うよりもクセがあって独特の風味に仕上がる。
チャーシューを作ったときも調味料を作るときに取り除いたへたの部分(上から1.5cmくらい切除)を使ったときも上手くできた。まあ、 焼いたシシトウが食べられない人にはあのピーマンのような風味が駄目なんでしょうけど、あの味が好きな人にとっては真に絶品の仕上がり。

で、今回はいつも作っている青唐辛子醤油(青南蛮醤油とも、青とん醤油とも言う)と、新作である青唐辛子塩麴(塩こうじのブームだから混ぜてみた(笑)) だ。

作り方は簡単。

まず、青唐辛子を用意する。え?無いですか。夏まで待ちましょう。え?売ってない?。栽培は簡単です。プランター菜園でどうですか?。水遣りは忘れないでね。

青唐辛子のヘタの部分を取り除く。後で薬味として使えるから寄せておく。
ミキサーに青唐辛子を入れて、焼酎でドロドロになるまで粉砕する。
それをボトルに入れる。ダイソーで買ったのは蓋がガバガバで使い物にならなかったので、セリア・シルク系で売ってる日本製のものを使用。これは事前に熱湯で消臭&殺菌しておくこと。
次に醤油を入れるか、塩麴を入れるかはお好みで。醤油の場合は口いっぱいまで。塩麴の場合は買ってきた塩麴が足りなければ焼酎を足す。焼酎はクセの無い米や麦を使用する。

お好みで味の素を加えてもよい。味の素はグルタミン酸ナトリウム。これも旨み成分。というか、旨み調味料だからね。旨みが増す。醤油も塩麴も植物性の旨み成分。青唐辛子も旨み成分。旨み成分であるアミノ酸の種類が複数交わると、更に旨みが増す。これは醤油、カツオ、シイタケ、昆布などの代表的なダシが混ざると旨みが増す効果があることで有名。

それで、青唐辛子。醤油または塩麴。グルタミン酸ナトリウム。焼酎が混ざることで、植物性の旨みが4種。肉や魚料理でこれを使うと、動物性の旨み成分と植物性の旨み成分が合わさって更に美味しく感じるという寸法だ。

私が今後作りたいもので実践していないものがある。それは青一味だ。青唐辛子をなんとか変色させずに乾燥させてミルで粉砕し、青い一味唐辛子を作りたいのだ。珍しいこともあり、地域の特産にでもすれば売れると思う。これは早い者勝ちで、利用方法も一緒にネットに公開して、更に購入者からも利用方法を募集すれば、販売者と顧客の相互にとって良い。

以前、キューピー(マヨネーズのあの会社ね)に、一味唐辛子マヨネーズ(一味マヨ)の販売を希望したのだが、却下された。でも、焼きイカに一味マヨをつけて食べると凄く美味しいし、一味マヨは色々と使えると思う。
まあ、自作も出来るから別に構わないが、企業は冒険を嫌うからね。売れると思うんだけどね。
で、青唐辛子マヨっていうのも美味しいと思う。勿論、粉末状の青唐辛子は様々なレシピに使えるだろうし、辛いものと言えば赤や黄色が多く、青はワサビくらいのものなので、青唐辛子の一味でも七味でも作れば面白そうだと思う。

我が町の特産に! と言う方が居ればチャレンジしてはどうだろう?。

軽SUVやSUV風軽が持て囃される傾向にあるが、目的を見失わないように。

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