2021年10月27日水曜日

ストレスとリラックス

ストレスは自分が不得手とする状態が続いたり、例え得意でも肉体的、精神的に負荷が掛かり過ぎる事で起こる。

リラックスは逆に自分が好きなものに接したり、その状態が継続することで感じるもの。

人それぞれに得手不得手があって当然で、AさんとBさんとではストレスと感じるもの、リラックスできるものが真逆であっても不思議はない。

ところがこのストレスも、敢えて行うことで良い効果を得たり、リラックスのつもりが快適すぎると辛いと感じてしまうこともある。

肉体を酷使するのは普通は辛いが、一定のストレスが掛かると脳内麻薬のドーパミンが出て快感を得るという事象もある。
リラックスも度が過ぎると飽きたり退屈だったり興味が失せて逆に不快と感じるようになる。自分でやるのは好きだが他人に強制されると嫌いになることもある。

人間は、ストレスが全く無くても、癒やしが全く無くても駄目な生き物で、良いことばかり続いても飽きるし不安ばかりだと心が折れる。

マイナス面であるストレス解消に関しては、不得手や苦手、嫌いや辛いから逃げる、克服する、好きになるなどの対処方法が普通で、自己解決したり、得意な人にやってもらう。教えてもらって自分が出来るようになるなどで対処することが普通。

ただ、何から始めたら良いか。どうやって知ることができるか。他人に聞けない。相談できないなどで悩む人も居る。対人恐怖症の人なら対面で人に聞く事は難しいと思うので、ネットを利用すれば少しはハードルが低いだろうと思う。

面白い、楽しい、気分が高揚する、落ち着くと感じるプラス面については、脱力過ぎてモチベーションが落ち切ってしまい、そもそも何もしたくないと感じてしまうこともある。怠け者としての一面は人間だから当然ある。

実際は、そうなる前に気づけば良いと思うのだが、精神が不安定になってしまうと不安のスパイラル状態に陥って何もできなくなる。

ではどうするか。原因ごとに対処はあるのだが、それは人それぞれの趣味趣向のベクトルが違うので一概に何をしろとは言えないが、これだけは言える。

新しい発見や感動による心への衝撃。未体験など普段はしない事を始める。旅など日常の風景からできるだけ離れる。疲れるくらい運動で体を動かすこと。目的地を決めずにどこまでも歩くだけでも気付きがある。

自分はこれで何とかなった。これを始めるためには爆薬を爆発させるための信管のように起爆剤が必用。行動という大きな爆発を起こすための、衝動という心の小さな爆発。

「よし!やるか!」と決めたら1秒で行動を起こすこと。寝てたら直ぐに立ち上がること。何故なら10秒も経ったら面倒臭くなるから。

立つ。着替える。準備する。外に出る。歩き出す。始める為に必要なアイテムを頭に思い描く。実際に必要なものを買いに行く。揃える。直ぐに実行する。

後は勢いに任せて継続することで停滞からは脱出できる。途中で疑問を感じて止まると停滞に戻る。怠けていた時間が長いほど堕ちるのも早い。

達成感という気持ちは大事。ワンランク上の目標なり、極めるという選択も有り。これ以上することが無くなったら、新しい発見を求めて何かを始める。

全く無関係のカテゴリーの方が幅を広げる為には良い。いま、自分ができることのげんかいの少し先を目指せば上限が上がる感じで取り組むと良い効果が得られる。

概ね普通と言われる人が出来ない事を好んでやってきた私の場合は、知る楽しみと、成果物の仕上りと、達成感と、忘れた頃に受け取る評価が原動力だ。

今すぐ評価される事が目的ではない。後からこれ以上ない評価を得るほうが面白いのだ。気づいたら日本有数とか、日本屈指のとか、そんなものはやり始めて直ぐに評価されるはずが無い。だからこそ、やってて良かったというくらいの評価が得られるまで黙々とやる。満足できるまで。

きっと、そこまでやってきたら、嫌でも実力は伴ってる。やり甲斐があったと思える。楽しいと思うようになり、そしてまた、誰もやらないような面倒臭いことを地味に始めるのだ。

自分は何も得意なものがないと思ってる人は、単に何もしてこなかった人。例え変人と思われようが、変人にしか到達できない着地点がある。

何事も極めれば達人になる。他人が凄いと言っても自分が納得できなければゴールではないのだ。その他人が凄いと言っている先に行けた人だけが超えられる壁を突破したときだけ、自分にしか理解できない心理が見える。

これは何にでも当て嵌まる事じゃないかな。まあ、子供の頃は勉強を強制されて勉強なんてクソも面白くなかった私が、社会人になってから勉強好きになったというのもあるが、きっと、興味が湧いたものを始めるにあたりとことん調べて砕いて飲み込んで理解して手に取るように認識出来たら、そこがスタートかも知れない。

子供に言う無限の可能性という胡散臭い言葉があるが、最初は有限だけど、自分が可能性に気づくには、すでにある選択肢では無い何かを自分で見つけるしかない。

その何かが有限の先にある無限ではないかと。だとしたら、有限を知ることで無限の第一歩が見える。つまり、有限を知らないと無限に達せない。

だからこそ、今知り得る事を勉強しなさいと言わないと、無限の可能性に到れる訳がないのだ。
言葉を便利に使う前に、言う人間が何かの先駆者でもなければ説得力も無い。でも、言い換えれば、貴方はその何かを見付けられるだけの時間はあると付け加える事で導くことは出来るかも知れない。

私にはそれを言ってくれる人が居なかった。気付きは重要で、納得は目標に向かう為の努力の理由付けだ。

たぶん、今の私が、今の人格と知識を持ったままで幼稚園児までタイムリープしたら、とんでもないガキになるだろうと思う。

気付くということは、大抵は事前ではなく事後。最初から解決のための指針は無いのだから、誰かに貰うしか無い。

軽SUVやSUV風軽が持て囃される傾向にあるが、目的を見失わないように。

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