2014年10月18日土曜日

献血と世間について今思うこと

 私は献血に行くほうだし、あまり乗り気じゃない時でも「血液が足りません」とハガキが来れば行く方だ。誰かが困っていて、それで誰かが救われるのなら、それは良い事だ。

 献血を受けられない人は、特定地域に居住および旅行に行ってた人。献血前に受ける問診でドクターストップが掛かった人や貧血。虚弱体質や低血圧の人。不特定多数の異性や同姓と性行為を行なっている人。血液で感染する恐れがある病気を持っている人や過去に輸血を受けたことのある人。エイズなどの血液検査の目的で献血しに来ている人。あと何かあったような・・・ああ、特定の薬を服用している人もか。

 私は五体満足で特に病気もなく、健康診断でちょこちょこと引っかかる数値が出てきているものの、また献血に来てね!という感じでいつも血液検査の結果が来る。つまり健康であるということだ。


 他に理由があるとすれば、会社の健康診断は年に1回だけど、献血なら年に4回。成分献血なら2ヶ月後にまた受けられるので年に6回は健康状態を測ることができる。これは無料なのでメリットは大きいと思う。
 まぁ、少し前の日記じゃ見返りが少ないとは書いたものの、過去の献血暦から何かしらの恩恵はあっても良いと思うし、慈善活動の一環なら献血をする側にももっとメリットがあっても良いと思うのだ。

 とりあえず、スーパーゴールド(20年無事故無違反)はゲットした。これはある意味で自己満足ではあるものの、もうちょっと何か特典が欲しい。車だからガソリンが安くなるとかね。
 献血ももう24回やってるので医療費負担割合を下げて欲しいとも思う。生活に直結する部分で、系統に応じての見返りがある社会になれば、それを目指す人が増えるという意味での見返りだ。

 交通違反をすれば罰則を喰らう。これは禁止された事を行なっての罰だからやったほうが悪い。痛みを伴うのは当然。でも、守っている側に何かメリットがあるかと言えば、とりあえず「嫌な気分を味あわなくて済むだろ?」ってことだけ。高速料金やガソリン代に跳ね返れば、「いやー!無事故無違反は気分がいいし、メリットすげー!」とか思えるのでは?。
 現状で無事故無違反で居られるのは、他人の無謀運転による被害を予測で避けたり、相手のミスなどを全力回避しているからであって、こちらがいくら法律を守ったところで、馬鹿は無くならない。つまり、馬鹿をひたすら避けなければ成らない。これに対してはストレスが溜まるが、メリットがあればおおらかな気持ちにも成れるってことだ。

 献血も一緒。私がいつまでも献血できるかどうかは分からない。これはいま、献血を行なっている人も同じ。だから、将来的には誰だって不安がある。 せめて健康なうちに献血をたくさんしておこうと思う。でも、献血をたくさんしたから将来の医療費は安泰と言う事が無い。全く献血をしたことが無い人と条件は同じというのが納得できないのだ。

 世の中には自分さえ良ければ面倒な事は絶対にしたくないという愚か者が少なく無い。そんなのと一緒にされたくないし、やはり行ないにはそれ相応のリターンが必要だ。 これから高齢者社会になればもっと血液が足りなくなる。私が若いときに何十回と献血をしたからと言って、私が何かあったときに輸血を受けられないのであれば、いま困っている人を助けられても、これから私が困った時に助けてもらえるかということ。つまり、昔同様に、献血を全くしてこなかった人間には人工血液だけ全額負担で。 過去に献血回数が多数ある人は、本物の安全な血液を輸血してもらえるという安心感が必要。

 将来、日本の人口の大半が老人になってしまった場合、血液は輸入に頼る事になるだろう。それまでに完全な機能を持った人工血液が完成すればそれで解決するだろうけど、現状で人からの献血に依存している以上、やはり人に輸血できる血液や血液製剤は人由来のものである必要があるからだ。

 ちなみに、豚は人間の組織との親和性が良いらしく、臓器移植も可能なようだが、血液も豚に頼るようになるのだろうか。IPS細胞などの再生医療もそうだが、完全な自分の細胞からの再生は可能なのだろうか。私は今のところ持久力は無いが物理的な生物としてのパワーは若い者の平均には決して負けていないと思う。五体も五感も満足な状態で、血液も比較的正常だ。何も病気を患っていないし、勉強は苦手だが趣味の範囲ではリアルの周りに比べて能力値は高いと思う。目に見える物理現象もすぐにシミュレートで再現できるし、思いついてから図面を起こすのも非常に短時間で可能なくらい趣味の範囲での頭の回転は速い。

 でも、明日はどうだろうか。病気に掛かったり、エボラに感染したり、インフルで死んだり、ダンプが突っ込んできて死ぬかも知れない。がんに対する特効薬も無いし、特にがんみたいな病気っていうのは本人がいくら健康に気を使っていたとしても成る時には成る病気。100歳過ぎてもタバコが美味いという老人もいれば、若くして肺がんになる人も居る。人間というのは病気を克服する知恵や手段があっても、まだまだその力は発展途上なのだ。

 発展途上だからこそお金も掛かるし、本人の肉体への負担も大きい。遺伝子操作についても倫理的な問題もあれば、数代後に生殖行為に問題が発生する恐れだってある。常に不安があるのだ。 特に、自分の健康に関心があったり、将来に不安があればそう思いたくなる。

 先進国でありながら、まだまだ世の中は腐ってる連中が多いこの日本で、誰しもが安心して暮らせる世の中には程遠い 。罪には罰はそれ相応とは思う人が普通であるが、誰かの役に立ちたいと思っている人がそれ相応の恩恵を受けられない世の中と言うのも何か間違っている。

 会社が労働者を評価するのは個人的感情やら悪いところ探しばかりでもう諦めている。でも、社会がそうだからそう考える人も多いのではないかとも言える。他が他人より劣っていても、別の面で他人を遥かに上回っていれば評価の対象になるような世の中じゃなきゃ、みんな平均だけを求めてそれより上に行こうと思う人が少なくなるんじゃないのかな?。

軽SUVやSUV風軽が持て囃される傾向にあるが、目的を見失わないように。

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